2009/07/02

景色を見て、チケイを考える ~このサイトについて~

海へ行こう、山へ行こう・・・
そんなときに意識して人が見ようとするもの。
風景。
その中に、必ずと言っていいほど隠れている。
いや、隠れてはいない。
堂々とそこにある。

地面。

足元を見る。遥か遠くに連なる山の頂を見渡す。
それは途切れることなく、どこまでも続いている。
そして時に、地面は我々の目前に立ち上がり、荘厳な景観として人々を圧倒する。

チケイ。

街中にだって、それは見つけられる。
海の底にだって。
地下にも埋まっているかもしれない。
さすがに空には浮いていないが、でも空を動かしているのは、実は地面だ。

地面は、さまざまなカタチで現れる。
それがチケイ。

ただ眺めているだけでは、それは一瞬の景色に終わる。記憶とともに消える。

感性でみる。それもいい。
絵に描き、感動を紙と絵の具に託して残す。
スイスの画家、セガンティーニはそうして山に生きた。

カメラも強力なツールだ。
シャッターを切って、目前の景色を永久保存。

また違う見方もある。
理性でみるとどうなるか。

なぜその地面はそんなカタチをしているのか?
いつからそこにあるのか?
何でできているのか?

ちょっとでも踏み込むと、ハテナの数はかぞえきれない。
そのひとつひとつに答えを出すのは、容易ではないだろう。

それでも、理性でチケイを紐解くことはできる。
証拠と理屈を掻き集めて、合理的な物語を構築する。
チケイの科学はそうやって発展してきた。

ただ、チケイ学者達の脳内に収まっているだけでは、もったいない。
地球表層の長編推理小説。
その片鱗だけでも、覗ける窓を設置してみよう。

レンズは目の代わりに。
キーボードは口の代わりに。

大地の素顔をご紹介しましょう。

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