2009/08/06

氷の力と水の力と - Silvaplana, Switzerland


かつて存在した巨大な氷河は山を覆い、谷を広く、また深く削り込んだ。
やがて間氷期という温暖期に入り、氷は融けてU字の深い谷が露わになる。
U字谷の谷底には水が溜まり、湖となる。

氷河が消えた後、U字谷に流れ込む支流の河川は、鋸のように岩を侵食した。
川の出口には上流から河川で運ばれた砂礫により扇状地が形成され、この場所のように湖に流れ込む箇所ではファンデルタと呼ぶ。


その直上には、深く削り込まれた細い谷がある。
この谷の中は急流となっており、時に滝となって、強力に岩盤を削ってきたようだ。
今でも、谷の中では岩が削られ、崖も崩れ、活発に地形は変化している。

氷による侵食と水による侵食のコラボレーションが生み出す、岩の造形。
そうした地形が、スイスアルプスには数多ある。

2009/08/03

氷と岩 - Murtèl rock glacier, Switzerland


大昔に山に降り積もった雪が、悠久の時を経て流れ下るものを氷河という。

一方、「岩石氷河」というのは、氷河とは異なり、氷ではなく「岩」が主役だ。

山の斜面を埋める落石。この内部には、夏でも融けない氷が隠れており、それは徐々に動いて岩とともに斜面を下る。
とくにここは北向きの斜面。陽が当らず、真夏でも雪が残っている。
スイスアルプスの山の上。





岩の塊の上に立つと、その大きさに改めて驚く。
これらの岩は、年間数センチ〜数メートルといった速さで斜面を徐々に下る。
全体として舌状の地形を呈しながら、先端部の岩々は動きを止め、表面には皺が寄る。
目に見えない、しかし実は見えている——少なくともそのスナップショットは——地面の動き。

そしてそれ以上に速いのが気候の変化。
ギザギザの山のてっぺんは、いつかまた氷河に覆われてしまうのだろうか。

2009/07/22

砂の島 - Fraser Island - Queensland, Australia

大陸の岩盤は長年の侵食により、やがて砂となり川で海へと運ばれる。
海へ吐き出された砂は、今度は波によって海岸沿いにその居場所を振り分けられる。

そうして運ばれた砂が溜まりに溜まって、巨大な島となったのが、オーストラリア東岸のフレーザー島だ。
砂の島としては、世界でいちばん大きい。

通常、砂嘴(さし)と言えば、河口の辺りに数百メートル、あるいはせいぜい数キロメートル程度に渡って延びた砂の堆積する場所のことを言う。
それに比べると、この砂島の規模は100kmを超え、とてつもなく大きい。飛行機からでも、その全体像は望めないだろう。

どれだけ大量の砂が、どれだけの時間をかけて溜まり、この島を形成したのだろうか。

ちなみにこの島はグレート・サンディ国立公園として世界遺産に登録されている。
このネーミングは、日本語訳で「壮大な砂の公園」、とでもなるだろうか。
なかなかわかりやすくて良いかもしれない。

2009/07/18

波は岩を削る。 - Great Ocean Road - Victoria, Australia

オーストラリア南岸に、グレート・オーシャン・ロードと呼ばれる海沿いの道がある。
かつて第一次世界大戦の帰還兵のための公共事業として造られたというが、今はヴィクトリア州でも有数の観光スポットとなっている。

海沿いには、所々に砂のビーチを挟みつつ、岩の崖が延々と続く。
海に面した崖は海食崖と呼ばれ、波の当たる部分、つまり海水面の高さ付近が凹んでいることがよくある。
このノッチと呼ばれる凹みは、長い間その部分に波が繰り返しぶつかり、徐々に岩が削られてきたことの結果だ。

崖の岩は、石灰岩(サンゴ礁起源と思われる)や砂岩、泥岩などがほぼ水平に、交互に積み重なってできている。
コンクリートのようにガチガチでもなく、比較的削られやすい。

この日は波も穏やかだったが、サーフィンのメッカともいわれるこの場所では、それなりに強い波がそこそこの頻度でやってくるのだろう。
すると、崖が削られる速さもそれほど遅くもないのかもしれない。
たとえば100年後には、海岸の岩が何メートルか削られ、海岸線が変わっているのかも。

地形の変化は、それだけ急速だったり、もっと緩やかだったり、予測は難しいものなのだが。

2009/07/02

景色を見て、チケイを考える ~このサイトについて~

海へ行こう、山へ行こう・・・
そんなときに意識して人が見ようとするもの。
風景。
その中に、必ずと言っていいほど隠れている。
いや、隠れてはいない。
堂々とそこにある。

地面。

足元を見る。遥か遠くに連なる山の頂を見渡す。
それは途切れることなく、どこまでも続いている。
そして時に、地面は我々の目前に立ち上がり、荘厳な景観として人々を圧倒する。

チケイ。

街中にだって、それは見つけられる。
海の底にだって。
地下にも埋まっているかもしれない。
さすがに空には浮いていないが、でも空を動かしているのは、実は地面だ。

地面は、さまざまなカタチで現れる。
それがチケイ。

ただ眺めているだけでは、それは一瞬の景色に終わる。記憶とともに消える。

感性でみる。それもいい。
絵に描き、感動を紙と絵の具に託して残す。
スイスの画家、セガンティーニはそうして山に生きた。

カメラも強力なツールだ。
シャッターを切って、目前の景色を永久保存。

また違う見方もある。
理性でみるとどうなるか。

なぜその地面はそんなカタチをしているのか?
いつからそこにあるのか?
何でできているのか?

ちょっとでも踏み込むと、ハテナの数はかぞえきれない。
そのひとつひとつに答えを出すのは、容易ではないだろう。

それでも、理性でチケイを紐解くことはできる。
証拠と理屈を掻き集めて、合理的な物語を構築する。
チケイの科学はそうやって発展してきた。

ただ、チケイ学者達の脳内に収まっているだけでは、もったいない。
地球表層の長編推理小説。
その片鱗だけでも、覗ける窓を設置してみよう。

レンズは目の代わりに。
キーボードは口の代わりに。

大地の素顔をご紹介しましょう。